魚沼市合併して以来、いろいろ諸問題はあったが、特別委員会まで設けるほどの騒ぎになった問題は、この井戸問題以外に記憶はない。過去を振り返ってみても、旧小出町時代に、全国版マスコミまで巻き込んで、騒ぎとなった、干溝小学校統合問題というのが記憶にあるが、それよりも、魚沼市井戸問題のほうが大きいように思う。復興金特別委員会は今もあるものの、この問題が裁判に持ち込まれると、当局も議会もその答弁は決まって「今、司法で争われていることなので、コメントは控えさせていただきます。」その一転張りですべて議会を乗り切ってきた感がある。司法は司法、議会は議会として、やってこなければならなかった部分が、これから明るみに出てくるような気配がある。何となくこのまま魚沼市が勝訴して、それを理由にうまく幕が引ければ、とか、この問題を棚上げして山の山菜のように、旬が過ぎればもうおしまいというような雰囲気すら感じる、ここ数年の議会であったような気がする。しかしこの問題は裁判の勝ち負けなどというよりも、その根本、その本質は全く別なところにあるようだ。その本質とは、「きれいな水には魚は住まないよ!」という性質のものだ。うまく復興金手続き、そのシステムの網の目をくぐってなした業である。中越地震の際に日本全国の皆様より頂いた心温まる支援を個人の欲を最優先にし、農業、養鯉をカモフラージュに私腹を肥やそうと、キョウロウマラカイテ、大慌てで井戸を掘ったというのが、この書類の随所からうかがい知ることができる。かつて、調査のためということで、500万円の調査費を魚沼市議会は付けたことがあった。市民の中には、「タダでも自分の家のユニックを使って井戸の配管を抜き取って調べてあげるよ。」という、この問題に関係していない井戸掘り業者が私の知っている限りでは2件ある。この井戸問題はどうやらこれからが本番のようだ。
平成21年復興基金特別委員会の議事録の中に当時、産業課長の口から「魚沼市情報公開条例について個人情報であるがゆえにそれを出すということはできません。おそらく県の条例のほうもそのようなことだろうと思いますので書類を出すわけにはいけません。」とある。 一般の会社であれば、その企業の重要書類が流出したなどということがあれば、そこの部、課のトップは即刻処分をされるのが普通です。話は変わって、よくこの書類の持つ意味を考えれば考えるほど穏やかではない。今行われている一連の裁判は、訴えられている市、県、復興基金など、すべて何事もなく勝訴をしたとする。そうなると、じゃあいったい、この騒ぎ、この問題はどこに原因があったのかと市民は注目する。そうなればこの一連の裁判の登場人物を見てみよう! 市、県、復興基金は問題なく無罪とする。そうすれば施工業者か申請者ということになってしまう。そちらのほうへ市民の目線が集中することになる。復興金がまるで"不っ幸金"になってしまう。とにかくこれらの書類を表に出した人物はその罪、誠に大と言わねばならない。速やかに市役所を去るべきだ。