ガラス張りの魚沼市に掲載された、晴耕雨読さんの投稿
「危急存亡の秋」とやら、にコメントする。
復興基金井戸掘り訴訟で、原告側の証拠書類として提出された一連の書類である。
とりわけ許せないのは、市役所と市議会の対応だ。
については、私も憤りを感じているので同感だ。市役所は不祥事、あるいは悪事を隠したいがために、何でも非公開とするが、それを調査し、追及するのが議会というものなのにも関わらず、ハイハイ議員しかおらず、事の本質まで考えずに、当局の言いなりになっている。
申請者名にしても、当時、情報公開請求をいくら出しても、個人情報を盾に、申請者名を公開しなかった。異議の申立も審査委員会で却下された。大体どういった文書があるのか、公表さえしない。また、既に情報公開請求で公開した文書も、請求者にしか公開しないという。申請者以外が見たければ再度請求するように言われた。担当者に公開とはおおやけに見せるということで、申請者だけの一部に見せる事を公開とは言わないと言ったが理解できなかったのだろう。
以前息子が住んでいた鶴ヶ島市では、市民が自由に立ちいれる市役所ロビーの一角に情報公開コーナーがあり、保存文書の一覧や既に情報公開された文書が自由に閲覧でき、セルフコピー(1枚10円)で簡単に入手することができる。
隠す気満々の魚沼市とは大きく違うことに驚いたし、情報公開とはこうあるべきだと思った。
本来、議会に提出しなければならない文書も当局が意図的に出せませんと言えば、そうですかとなる。全く情けないやら、バカバカしいやらでやる気も失せるというものだ。
しかし、この方とはその文書に対する認識が違う為、その後の意見が異なる。それは、組織を守らんが為、議会も欺いて、個人情報だからなどと黒塗りで非公開とした。この措置が、正しい、あるいは正当だと認識しているから後の結論になる。
仮の話で恐縮だが、犯罪一味が、結託して口を割ってはならないと約束したが、一部からその秘密が漏れた。誰が漏らしたか、それを問題にするのは、犯罪一味であり、捜査当局や一般市民ではない。
議会や一般市民が追及しなければならないのは、なぜその文書を非公開とし出さなかったかを問わなくてはならない。
内部文書の流出で、内部告発者を処分しなければないという発想は、最初の非公開を容認している、犯罪一味の論理だ。既に相手のペースに嵌まっているのだ。
この副市長が、県の幹部と対応策を練った議事録も個人情報などではない。
職員が市民の税金から給料を貰い、公用車を使って県庁まで出向き、市の仕事として行ったもので、市民になんら隠すようなものではない。
市民や議員に見せられないような仕事をさせるために、市民の税金で雇って仕事をさせているわけではない。
大体、市役所にある書類で、本当の個人情報ならいざ知らず、市民や議員に見せられないような秘密文書を作っているほうが、おかしいとなぜ気がつかないのだろう。
この方もある意味においては、犯罪一味であり、職員の仲間意識に取り込まれているからこういった発想しか出来ない。
「臭いものには蓋をする」という体質は、職員、議員との仲間意識が醸成する産物だ。自分たちさえ良ければという発想と根元は同じだ。
最期に私の事が書いてあるが、何度も言ったが、代理人から手渡されたもので、その出所を詮索する気は毛頭ない。
そんな事は犯罪一味の仲間割れですればいいだけの話しで、勝手におやりなさいという感じだ。
隠蔽しようとした人たちが犯罪一味ではないと言うのなら、なぜ隠したのかを説明しなければならないだろう。